はる なみ みらい

雑音のない音の感じ。技術のみらいを考えたい

目的の多様性と手段の多様性

ある女性のコンサルタントが、「会社が受け入れるべき多様性は、会社に貢献する範囲のもの」みたいなことを言っていました。

「あらゆる多様性を会社が受け入れるべき」という思想とは相容れないものですし、
「多様性なんて言って金儲けかよ」となんかがっかりした気になるのも理解できます。

 

でも、言うほど悪いことでもないと思ったのです。

人は義務で動くのではなく、モチベーションで動くものです。

組織も同じ、組織にとってのモチベーションがなければ動きません。

会社の場合、ビジネスとしての成功(売上、利益など)が会社の目的であり、それがなければ組織として存続すらできません。

 

なので、私としては、「会社に貢献する範囲の多様性」ということには同意します。

具体的に会社に貢献する範囲の多様性とは何か、ということになるのですが、主な効果は、
・新しい市場や技術に対しての知識をもたらしてくれる

・過去の経験に縛られ、誤った判断をしてしまうのを防ぐ

といったものではないかと思います。さらにメタ的に、
・これらができる人材を呼び寄せるための呼び水
というのもあります。


新しい市場にに対する知識が多様性の効果だとすると、
逆に、既存市場の中での競争を続けていくような業種においては、多様性の効果はない、
ということなのでしょう。
本当にそういう業種もあるのかもしれません。

 

多様性が会社のビジネスに有効であることは理解できても、次に問題になるのは、

「どの程度の多様性を認めればどの程度の効果があるのか」がわからないことです。

米国テック企業は多様性の塊で、それらがグローバル経済で活躍しているという事実はありますが、

・多様性がなくても成功した可能性はある

・多様性があっても失敗した企業はいっぱいある

・各社、どの程度の多様性を受け入れているか外からはよくわからない

といったこともあり、結局よくわからないのです。

実は、米国企業自身もどの程度効果があるかはわかっていないのだと思います。

そんな風に経営側で多様性の意味をうまく説明できない中で、活動家ばかりが目立ってしまっている
という状況であり、少し誤解が出ているように思います。

経営側としては、あくまで会社のビジネスを成功させるために、
多様な取り組み方や知識を活用したい、というだけで、
活動家には、社会の中で押さえつけられていたマイノリティの復権、という活動目的が
少し入っていると思います。
さらにそんな活動家の中でも、マイノリティがビジネスの中で重要な役割を果たしてくれれば
自然と復権が進む、という思想と、そんなのでは甘いという思想があるのでしょう。
(この辺りはちゃんと調べてないので、間違っているかもしれません)

会社の目的に貢献するのが良い多様性、という立場はとりますが、もう一つ大事なのは
「目的をどう共有するか」ということです。
会社の設立の趣旨とか、創業者のメッセージなどいろいろ対外的に出されているものがありますが、
実際に従業員が会社の目的として向き合うものは、評価や管理の仕組みです。
 対外的にどんなメッセージを出しても、それを評価する仕組みがなければ、会社の目的とは言えません。


ここまで会社の中での多様性の考え方についての話ですが、
社会においてもたぶん同じことでしょう。
社会の発展につながる多様性が良い多様性であって、社会を破壊する多様性を認めるのは少し違います。
ただ、「社会の発展につながる」という目的について、意見をまとめることは極めて困難なことです。
欧米の社会の分断の例がわかりやすいですが、現代において、意見をまとめる機能がほとんど機能しなく
なってしまいました。

今日のところはひとまず、多様性を受け容れる範囲についての議論は、社会の在り方についての議論の
一部である、という至極当たり前のことでまとめて終わりますが、
社会の在り方についての議論をどうやったら進めていけるのかについては、今度整理したいと思います。