はる なみ みらい

雑音のない音の感じ。技術のみらいを考えたい

ノマドの群れは未来につながるか。

先日、慶応KMDフォーラムで「Cift」を立ち上げた藤代さんのトークを聞く機会がありました。

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 まあ、この人の言うことはちょっとすごい。メンバーが主体的に参加する共同体のようなものを目指していてそれを「拡張家族」と呼ぶのだそうです。この取り組み、現在の参加者はほとんどがフリーランスだそうで、つまりノマドワーカーが遊牧民として群れを構築し始めた、という見方もできます。語義的には必然の流れのようにも見えますが、今まであまり意識されてこなかったことではあります。
 私として注目したいのは、このまま遊牧民族現代社会で土地(すなわち生存権)を獲得できるか、という点と、この群れの中のガバナンスがどういう形になっていくのか、の2点です。
 まず、前者の問題ですが、2017年現在、ノマドワーカーは市民権を得つつありますが、あくまで農耕民族(定住労働者)からの仕事を受けることで生活をしており、農耕民族主体の社会における例外として扱われている感じがあります。このまま遊牧民族が増え続けた場合に、農耕民族社会は遊牧民族をどのように受け入れるのか。国の制度自体が長期定住者を前提として設計されていますので、そのあたりからいろいろ軋轢が発生してくるはずです。
 一つ提示しておきたい視点は、知識経済化が進む中で、一か所に定住することは生産性の点ではすでに不利になっているということです。農耕民族社会の構成員もこのことは理解しつつありますので、この軋轢は必ずしも対立という形にはならないかもしれませんが、ちょっとしたかけ違いから大きな問題になっていく可能性もあります。

 そして、二つ目のガバナンスの問題です。Ciftで目指すものは、メンバーが主体的に参加するコミュニティ、というものだそうです。そこで、コミュニティでの決定権は誰にあるのか、という問題が出てきます。主体的ということを素直にとらえると、メンバーの総意で決定する仕組みとなりますが、総意が集約できなかった場合が問題です。政治の歴史においては、結局間接民主制を選んだ訳で、これはざっくり表現すると多数派による統治です。この地点で、全員が主体的に参加するコミュニティという姿からはずれてきます。このようにこのプロジェクトでは、政治学イノベーションとも呼べるレベルの困難を乗り越える必要があるように見えます。
 難しいと指摘するだけでは、前に進みませんので、いくつか参考になる議論を考えてみたいと思います。

議論1:意見が分かれる人はコミュニティに入れなければ良いのでは?
 最初にメンバーを集める過程では、この手法が合理的ではありますが、決定に困難が伴う問題は、最初の面談時に想定しなかった側面で起こります。そういう場合にどうするか、の問題です。また、途中でメンバーを追加/追放するためにも決定が必要です。

議論2:結局はリーダーが決める形になるのでは?
 現実は、そうなるのかもしれません。リーダーとしては、「議論しているともったいない些細な問題を片づけている」という説明にする必要があります。リーダーが公式に委任を受ける形では、結局は間接民主制になってしまいます。

議論3:重要な決定は外部メンバーに任せる?
 株式会社の委員会は、外部メンバーが重要決定をする仕組みですが、それは、会社が株主の所有物だからであって、ノマドワーカーのコミュニティとは性格が違います。もし、仕事を依頼する組織がコミュニティを運営する形態となるのであれば、それは「冒険者ギルド」なのかもしれません。

議論4:それぞれのメンバーの考えをモデル化し、自動的にバランスをとる技術が作れないか?
 書いてみたものの、技術的に極めて困難で、これができたらノーベル賞ものだと思います。できたとしても人はその裏をかくわけで、そうするとイタチごっこになってしまいます。

結局、間接民主制を取りながら、少数派にも主体的に参加していると感じさせる、という仕組みに落ち着くのかな、という感じですが、もしかしたらもっととんでもない未来がやってくるかもしれません。