はる なみ みらい

雑音のない音の感じ。技術のみらいを考えたい

資源の生まれる場所

自宅の庭から石油が出る、なんて誰もが夢見る話ですが、その石油は本当にあなたのものでしょうか?

近所と取り合いになる、とかのいう次元ではなくて、そもそも石油は恐竜時代からの遺産であって、
たまたまそのタイミングで土地の所有権を持っていた人に帰属する、
というのはよく考えると変な話です。

もちろん採掘コストを賄うだけのインセンティブがないとそもそも採掘されない、という問題もありますので、
土地所有者のもの、とすることに経済的合理性はあるのでしょうけど。

と、ここまでは前振りで、今日のテーマは文化という資源です。
以前にも書いたと思いますが、多様性は資源です。
同質の人が集まって議論したら結論は一定になりますので、そこに新たな価値はうまれません。
これまでと違う要素が入ることで新たな価値が生まれるのです。

正直、この理論を定量化する研究をやれていないので、根拠は弱いですが、一般的に同種のことは言われているので、とりあえず正しいとします。

「新たな要素が入ることで新たな価値が生まれる」とすると、ある価値が行き渡った場合、さらに別の新たな要素を探してこなければいけません。
言い換えると、新たな要素が枯渇した時に、新たな価値を生み出すことができなくなるのです。

そして、新たな価値を探し続ける経済になってからしばらく経ってしまいましたので、新たな要素を探すことの難易度はどんどん上がっています。

以前であれば、まだ知られていない国に行けば、新たなネタはいっぱいあったのですが、SNS時代に地球上で知られていない場所はほぼなくなりました。
現在は空前の旅行ブームであり、異動するインフラが整ってしまったので、観光資源さえあれば、どんなところでも観光客が押し寄せて、SNSにアップする時代です。
こんな状況ですので、昔の人たちが作った文化は近い将来に消費されつくしてしまうのは自明です。

だから、今の時代を生きる我々が、新たな文化を作っていかなくてはいけないのです。

しかし、すでにSNSなどで世界につながれてしまっている人が、メインストリームから外れたものを育てることができるか、正直信じられないのです。
世界がこんなにつながる前は、それぞれの経済圏における価値基準がありました。
特定の県でのみ有名な食品、とかは良い例だと思います。

これらは、現代において文化としてもてはやされていますが、2020年代に、特定の県でだけ流通するものを新たに投入する主体がいるか、というと微妙です。

もっと極端な例に行くと、旧ソ連のデザインなど、独特の特徴があり、高い評価を受けていますが、現代に特定の国の特定の芸術家が、とがった表現を始めても、理解されないと思うのです。

世の中に対立があって分断されている方が文化は発展する、という説もあり得るのです。

もし、これが事実であるのなら、取るべき道は3つです。
・対立をあおる
・新たな価値を生み出すことをあきらめる
・対立がなくても様々な組織がさまざまな文化と生み出せる仕組みを作る

もちろん、私は3つめの方向性を実現したいと思っています。
残念ながらまだ具体的な形は見えていません。
地方がこの主体になれると信じている人も多いですが、私はちょっと懐疑的です。
経済力が劣る地方が都市の価値観と戦えるとは思えないのです。

実は、私は地球外にその可能性を期待しています。とはいえ最低100年はかかってしまうので、その間を持ちこたえる戦略が別に必要になるのですけど。

結構真剣ですから。