はる なみ みらい

雑音のない音の感じ。技術のみらいを考えたい

投資と資本

かれこれ20年ぐらい金融緩和状態が続いていますが、一向に設備投資が上向かず、たまに不動産プチバブルやベンチャーバブルが発生する状況が続いています。この原因について、ちょっと考えてみたいと思います。
 といっても結論は、「投資に見合う対象がない」というだけです。投資した分だけ収益が増えることが見込めないと設備投資はできません。
1.国内市場自体の拡大が止まっているため、海外向けを含めて考えないと需要は増えない。

2.その一方、生産量を増やすのであれば、海外工場の方が条件が良かった

3.生産機械の品質が上がり、機械の入れ替えをしなくても十分な品質のものが生産できるため、無理に入れ替える必要がなかった。

4.しかも入れ替えても競争の激化であまり価格は上昇していない

このような背景で生産機械の国内需要はほとんど増えていかない状態です。
投資がされないのですから、生産設備としての資本は増えていきません。

では、生産設備ではないとすると、金融緩和で何に投資されてきたか、と言えば、知識と権利です。開発を行って知的財産を構築したり、ブランドの権利を獲得したり、です。
ここで、知識はきわめて不安定な資産です。知識は、属人性が強く、ある人が退職しただけで失われてしまいますし、ノウハウは公開された時点で価値がなくなります。
権利は各国政府によって守られていますが、条件がそろわないと有効に使えません。

さらに、非常に困ったことに、市場の特定範囲を独占する許可が権利なので、権利の成長は独占範囲の拡大でしかありません。社会全体でみるとの資産は増えていないといえます。

普通の企業買収では、ブランドなどの権利と合わせて、社員の知識も入手します。そのため、合併後の取り組みによって、知識が増えるところまで行って初めて社会の資産が増えるといえます。ただ、やはり知識は不安定なので、過去増大し続けたのかどうかは計測しようがありません。

つまり、この金融緩和の間、いわゆる資本形成はほとんど進んでいないのではないかと思います。これが良いことか悪いことかはわかりません。ただ、資本形成が進まないのであれば資本主義の本質的利点が失われている、といえるのではないかと思います。

資本形成が進むようにシステムを改良する(資産として将来価値を提供するものを投資対象とする)か、資本形成をしないことを前提のシステムを根本から修正するか、どちらかが求められているように思えます。

 

 

 

農業機械化と農村経済

今日は、農業の話。農村移住して農業を始めてもうまくいかない、なんて話もありますし、大規模法人化して成功しているなんて話もあって、実態はよくわかりません。
わからないのですが、わからないなりにちょっと考えてみたいと思います。
 まずは、経営的な話から。収穫までに必要な資源を考えてみると、土地、肥料、水、種、(作物によっては)ビニールなどの機材に加えて、作付け準備の段階から収穫まで、さまざまな作業があるので、それを実行するためのヒューマンリソースが必要となります。
 農業機械は、このヒューマンリソースを置き換える存在です。ただ、農業は重労働のイメージが強かったため、農業機械の導入目的は作業軽減が目的であったようです。この作業軽減は、日本で高齢化した零細農家が事業を続けてこれた大きな理由だったようにも思えます。
 このような、高齢化した農家もさすがに限界を迎え、ここ10年ぐらいは、比較的事業意欲の強い農家が大規模化する流れになってきています。そうであれば、農業の機械化の目的も農家の作業軽減から、大規模経営を効率化する仕組み、に変わってくるはずです。
 ここで問題になるのは、農業事業者が大規模化を進める際の経緯で、元々小規模事業者を想定して区分けされていた土地を少しずつ集めて大規模化したため、きれいな形の巨大な土地ではないということがポイントです。農機が一度に処理する幅を広げても作業がやりにくくなるだけですなので、小規模事業者向けと同じ機械を使うのですが、その場合、大規模化しても作業効率は変わりません。
 では、どのような農業機械であれば競争力向上につながるのか、と考えると、一人で複数台を同時に操作できるような機械、という結論になります。単位時間に処理できる面積が同じであっても、複数台が操作できれば、効率が上がります。実際には,複数台を同時に細かく操縦することはできないので、最初に作業範囲を指定したら自動的に動作するような仕組み、いわゆる無人化農機です。そういう意味では、近年大規模化した事業者と無人化農機は相性が良い組み合わせだといえます。
 実際に導入を進めるためには、まずは製品を実現することが大事ですが、価格の問題もあります。ただ、これについてはファイナンスをうまく活用した仕組みで解決できそうに思えますので、そういうビジネスが出てくるのではないかと思います。
 
 このように、大規模事業者に無人化農機が普及した時代を考えたときに、農村経済というものが存続しうるのか、という点が次の問題です。
 自動化により極限まで従業員を削減してしまうと、農村にすまなければいけない人口は現在よりもさらに少なくなります。農村内にかつて存在していて商業機能は、すでに自動車交通の発展で、ロードサイドの巨大店舗に吸い上げられてしまっていますので、今後農業従事者が減っていけば、もはやコミュニティとして成立しなくなり、住民向けのサービスを提供する人もいなくなってしまいます。自動化は、同時に遠隔操作も実現しますので、大規模事業者もいざというときに駆け付けることが可能であれば、農村内に住む必要もなく、いよいよ農村の無人化となります。
 こんな流れを予測しておりますが、交通ネットワークの観点で少し懸念があります。交通量があまり多くないネットワーク(県道など)は地域のコミュニティで活用されているという理由で維持されているところも多くあります。このネットワークを使う側からすれば、そのコミュニティに存続してもらいたいのです。そう考えると考慮して、ネットワーク利用者側の負担で農村を維持するという施策も出てくるのかもしれません。

シンギュラリティについての考え

私がブログ書きたくなった理由は、このシンギュラリティが2045年(30年後)にやってくる、という騒ぎに対して、私の中での現状での理解をどこかにまとめておこうと、思ったからです。

シンギュラリティについては、Web上に情報があふれていますので、改めて説明するほどではありませんが、2045年に、人類すべてを合わせたよりも強力な知的活動を行えるAIが安価なPC上に実現されるという、レイ・カーツワイル氏の著作における主張です。
さらに、近年ディープラーニング技術の発展で、画像認識性能などが急激に発展したために、シンギュラリティの主張が俄かに信頼性を増してきた、といった状況です。

このテーマに対するいろいろな議論が起こっていますが、論点を整理すると、

1)人間の知的活動とは何か?

2)仮に、人間よりも知的なコンピュータが実現した場合、人間社会がどうなるのか?
の2点だと思います。

まずは、1)の議論から。
通常の技術開発は、課題を設定して、その課題を実現するための手法を探索する方法で進んでいきます。速い自動車を開発する、という課題に対して、車体、エンジンそれぞれの課題に分解し、最終的に、燃焼制御といった具体的技術に落とし込み、それを開発していく、という感じです。「人間の知的活動より賢い」という言葉は、人間の知的活動が定義できなければ、具体的意味は持っていないのです。
 確かに、人間よりチェスが強いコンピュータは実現しましたが、それは、チェスという課題が明確なゲームであるからできることです。画像識別問題や自動翻訳も、課題が明確であれば今後どんどん性能向上が進んでいくでしょうし、この次に出てくるであろう、文章のアブストラクト自動生成技術とかはうまくいくかもしれません。
 そんな風に、人間の知的活動を実課題として切り出し、一つ一つ実現していくのが技術開発です。問題は、人間の知的活動の課題の中には、評価が極めて難しいものがあるということです。人への思いやりとか、怒りなどの感情や思考は、評価は困難です。
 大体、そういった不適切な課題は、こっそりと注付けされて「知的活動」という枠から外されているはずです。
 ただ、脳科学の進歩により、人間の感情や思考パターンなどが解明されてしまう可能性もあります。その場合は、それを再現したAIができるとは思いますが、AI以上に解明されてしまった自体のことの方が衝撃を与えることでしょう。この話は別の機会に議論してみたいと思います。

次に2)の議論。
 1)の議論の通り、シンギュラリティの問題は、課題設定があいまいな問題なので、本質的にはそもそも議論が成立しないのですが、仮に、今会社で行われている業務がすべてAI化できたとします。

 これに対して、うれしいという意見と、困るという意見、自分の中ですら両方あります。前者は、いま実際に悩んでいる課題をやらなくてよくなる、という視点です。後者は、それをやらなくてよいのであれば、まったく新しい業務を開拓しなければ生活ができなくなってしまう、という問題です。
 本来望ましいのは、悩んでいる課題から解決されて、かつ生活の不安もない、という方向の発展ですが、ここまで行くと技術課題ではなくて、社会の問題です。
 この点を解決しなければ、技術を開発する側も永遠に椅子取りゲームを続けることになってしまうという危惧があります。

 ただ、今はAIがもてはやされていますが、技術の方向性は様々なものがあり得ます。特に、ブレインマシンインターフェースのような脳拡張技術はまた違う方向性を見せてくれる気がします。幸せかはわかりませんが、どこかのSFみたいに脳の一部をネットワークのリソースとして提供する代わりに生活費が得られる、なんて世界がくるかもしれません。

ごあいさつ

35歳会社員(機械系)。ブログをはじめます。
仕事が思い通りにいかなくなってしまって、本当にこのままでいいのか、まさに転機を迎えています。
一方、AIとかロボットとか、技術は急激に発展していて、20年後には世界の半分以上の職業がなくなる、とか言われています。
世界がどこに行くのか、一技術者なりに考えてみたい、そこから自分の進むべき道が見えてくればいいという思いです。
一技術者の立場上、実名でしにくい込み入った話(秘密は洩らせないけど)をこっそり書き連ねていきます。
少しだけ、自己紹介しますと、大学で元々ロボットの研究をしていました。その後企業に就職し、最近はIoT関連の取り組みにかかわっています。
趣味は、合唱とインフラ調査です。
元々、鉄道と道路を追いかけておりましたが、都市を支えているインフラっていろいろある、というのがわかってきて、電力、治水、さらには流通あたりまで広げて調査しています。
好きなアニメは新房監督の作品です。
細かいことは、日記の中で書いていくので、よろしくお願いします。