はる なみ みらい

雑音のない音の感じ。技術のみらいを考えたい

人をリスペクトするAI

某社が「人に寄り添うAI」という宣伝文句でAI技術をアピールしていますが、この「人に寄り添う」というのがわたし的にはしっくりこないものがありました。使いやすさを表現するのに「寄り添う」というのは正しいのか良くわからないです。

人をディスるのはこのくらいにして、じゃあAI技術はどうあるべきなのか、そんなことをずっと考えていました。
そんな中で、監視カメラのデータを扱う際に、制約が強すぎで活用が難しい、という話題がありました。
GAFAはいくらでも個人情報集めているのに、「なんで監視カメラだとこんなに使い勝手が悪いんだ」という文脈で語られる感じです。

AIの話と個人情報の話、関係ないように見えて実は非常につながっている話です。
「AIで業務を置き換える」とかいう場合のAIは、基本的には過去のパターンから類似したものを持ってくる技術です。ものをいうのは過去のパターンのデータをどれだけいっぱい持っているか、なのです。
 最近の技術発展で、比較的少ないパターンで構造を見つけて使えるようにする、というものは増えていますが、データ量が多ければ多いほどできることは増えていきます。
 人間の業務を置き換えるという課題においては、人間が過去に実施したパターンを利用します。一応、雇用契約下の従業員が業務として実施したデータは、雇用主が自由に使っていい、というのが現状のコンセンサスであるため、過去の従業員のデータを活用したAIが成立しているのです。
 一方、雇用契約下にない人間のデータを使うとなると、監視カメラのような非常に強い制約がかかる、というわけです。

 ここまで読むと私の考えがわかるかと思いますが、現状のAI構築の仕組みは、データ提供者である人間に対してのリスペクトが足りないと感じているのです。AIを使って人々の生活を改善する、という大義名分があるからと言って、人が他人へのリスペクトを失った状況は極めて悲しいものです。

 ロボットの業界において、「パートナーロボット」という概念があります。人間にとって完全な道具であるものと、人格を有する人間との中間的な存在という位置づけです。なぜ純粋な道具ではいけないのか?そういう突込みが多数ありながら、直観的な何かで、パートナーロボットが人間の生活を改善するものだと信じて研究を進めている人がいます。
 AIについても、この立ち位置があるべき姿なのではないかと思います。進化したAIは完全な道具として向き合うには賢すぎるけど、人格を持たせるべきものでもない。だから、「パートナーとしてのAI」となります。

 結局、「パートナーロボット」という場合の「パートナー」って何なのか?というとこに戻ってきてしまったのですが、これこそが相手をリスペクトすること、だと言いたいのです。人間のパートナーと向き合う際に大事なことは、一方的に依存することでも、従わせることでもありません。相互に依存する関係、もしくは相互に高めあう関係、そういったものですが、その関係を築く際の基本は、相互に敬意を持つことです。(ここは私の結婚観が出てしまっているのは自覚してます)つまり、パートナーとしてのAI=人をリスペクトするAIということです。(上の議論を延長すると、人をリスペクトするAIは、同時に「人にリスペクトされるAI」でなければいけないということもいえます。)

 人をリスペクトするのはAI自体ですが、実際は、AIを作る人がそうさせるもの、もしくはそのように育てるものですので、開発者が他人へのリスペクトを忘れずにいることがまずは大事なのだと思います。