はる なみ みらい

雑音のない音の感じ。技術のみらいを考えたい

最終回への道

別にブログ止める宣言ではなくで、ハッピーエンドなのでご安心を。

今日のトピックは、「ミラーワールド」
2020年は外に出かけることがすごく難しくなって、一方でヴァーチャル世界が大いに注目された年、として記憶されるんでしょう。

ミラーワールドは、現実の空間をヴァーチャル世界上に再現する概念です。
いろいろなシミュレーションが可能になる、効率的にリアルの都市を運営できるようになる、なんていう利点が語られますので、これは都市スケールのデジタルツインという概念も含んでいるような感じです。。


デジタルツインの背景を説明すると、まず設計が3DのCADに移行し、設計検討はCAEでできるようになってきて、さらにIoTで運用中のデータを収集して、CAEにフィードバックできるようになってという感じです。
さらに、これらの技術が普及すると、複数の部品も組み合わせて動かせるんじゃない?、という感じで広がっていく。そんな感じで、デジタル技術で設計されたものを一つにつないだものがデジタルツイン、というわけです。

そんなわけで、シーズ先行の技術で、生まれる価値があまり見えてこないのが正直な感想です。


一方の、ヴァーチャル世界は、ゲームやCG技術の延長です。こちらも3Dデータを扱う分野でしたのでデジタルツインと繋げたらなんかできそうという感じで出てきたのがミラーワールドです。

ただ、これだけではミラーワールドは技術でしかなくて、やってどうするのという疑問への答えにはなってないのです。

ミラーワールドの価値って何?という議論ですけど、私の意見は、
リアル側からの価値は、「人々と都市とのエンゲージメントを強化すること」
ヴァーチャル世界側からの価値は、「その世界の公共性・信頼性を担保すること」

です。要するにシミュレーション云々は実は重要でなくて、コミュニティの維持・発展のための手段、という認識です。


これは、コミュニティと都市は相互依存関係にある、という仮説に基づいています。
この考えでは、ヴァーチャルの時代でもその関係は有効で、その力を活用するためにミラーワールドが必要、というわけです。

ここで、最終回ってどういうことかというと、それまでの回の登場人物が、危機的状況の中で一堂に会して、力を合わせて最強の敵を倒す、という流れと、それに伴う感動のようなものです。
ミラーワールドの実現に向けて様々なデジタル技術が集まってきているのが似ていると思いました。
ただ、最終回の戦いには、明確な目的と、引っ張っていくリーダーが必要ですので、人々がミラーワールドの力を活用できるようになるにはもう少し時間がかかるかもしれません。

そしてもう一つ、ハッピーエンドだろうと、最終回が来たら一旦そこで終わりで、Season2への仕込み期間が始まります。技術者としてはSeason2のネタ探しも重要でしょうね。

 

都市を救う、そのための技術

世界中がロックダウンになって、破壊されたものは「都市」というものだと感じてます。

生活必需品を生産・流通させる仕組みは維持された一方、都市の賑わいと呼べるものはいったん全部否定されました。
もちろん、徐々に戻ってくるのだと思いますが、賑わいというものを肯定的にとらえることのできない状態が続いていくことは自明です。
 仕方のないことですが、このままでは都市というものが窒息死してしまうのではないか、そんな危惧を持っています。

 地方都市のここ20年ぐらいの動きを見てみると、賑わいを失い、必死に取り戻そうと街おこしが行われてきたものの、結局苦戦してきたということは事実です。今回は、都市が生き残れるかの瀬戸際にいるというのも言い過ぎではありません。
 
  おうち生活を続ける中で、自分が都市の賑わいというものが好きだった、ということは改めて認識しました。
 そこで、都市というものを守るために何ができるのかという、ある意味地方都市で街おこしを頑張ってきた人たちと同じことを考える場面が来ました。

 都市の賑わい守るための方法は、都市が持っていた機能を電子空間上に移植することだと思います。

 現状、買い物については、ネットショッピングでほとんどのものは購入できます。セミナーもほとんどオンラインに移行しましたし、居酒屋でやっていた飲み会すらZOOMに移行しました。
 この結果、「動画視聴者が爆発的に増えた」といった数字で出せるものには表れていますが、その数字を見ても、
都市のような賑わいが再現できたとはなりません。

この状況は、都市の賑わいというものは、自分事なのに対し、電子空間上の取引はあくまでプラットフォーマーによる経済活動でしかない、ということではないかと思います。
逆説的ですが、都市とは、実は住人の所有物であり、そのために公共性が維持されている、という事実に気づかされたのです。(マンションポエムが主張する、「都市を所有する」というのは実は真実だったのです。)
巨大都市に人が集中するメカニズムは、人が増えるほど価値が指数関数的に増大する、というモデルで説明できるように思います。 

まとめると、こんな感じです。
・都市の価値は都市の賑わいで決まり、人が集まることで指数関数的に価値が増大する
・今回、都市の賑わいを人為的に抑えつける必要が出ている
・電子空間上のサービスは、プラットフォーマーの経済活動になってしまう可能性が高い。


この状況の解決策として、「都市のような公共的な空間を、電子空間上に実現すればよい」という一つの方向性が見えてくるのです。
ただ、インターネット歴の長い人から見れば、電子空間上の公共空間というものが長期で持続し得ないものであることを理解しています。(人が増えると荒れ始め、最後は商業主義がはびこる、みたいなパターンです)
その行き詰まりを乗り越えるためのキーが、物理的な都市空間が有する公共性だと思っています。
(公共性とは何か、みたいな議論は厄介なので、とりあえず置いておきます)

 使えそうな技術として、ここ数年はやっていたデジタルツインというものがあります。実体の機械などと、対応するシミュレーションモデルを用意し、実体機械とシミュレーションモデルを連動させることで装置の故障を予測したり、効率的な運用方法を探ったりする、という概念です。
 
 私が企んでいるのは、一般的なデジタルツインとは使い方が違い、
物理的な都市とリンクする電子空間というものを構築し、物理的な都市が有する公共性によって、電子空間の公共性を担保する、という構想です。
 実装としては、電子空間上の所有権と物理空間上の所有権を完全にリンクさせる、というイメージです。
 電子空間上の利用者は、物理空間上の所有者から権利を借りる形となるので、電子空間上の空間も物理空間上の所有者の管理が及ぶことになります。
 この仕組みがうまく作れれば、電子空間上で特定の都市が盛り上がった場合に、その価値を物理的な都市に還元することが可能であり、街おこしとリンクさせることもできるのです。

何となく、これを実現させようと考えている人はいそうだし、他に都市を救う方法もないので、どうにかして実現したいものです。

ゲームの文化

昔よりも、女子がゲームやるの普通になったよね、ってはなし。

ゲームのメインがスマホに移行したこともあるけど、大体2000年以降の世代には、ゲームは男子のもの、みたいな先入観がないのかもしれない。

でも、未だに、ゲーム好きの女子っていう存在を、まだしっかり受け止められていないのですね。

特に、Youtubeでゲーム配信している女子を見ると、商業的目的からそういうキャラクターを演じさせられてるんじゃないか、明確に商業的目的でなくても、そういうキャラを演じるということを本能的に感じてやってるんじゃないか、そんなことを疑ってしまうのですね。

ひと昔前に腐女子文化がその衝撃とともに一般に知れ渡り、未だにキャラクター造形に利用されておりますが、彼女らのゲームへの情熱、情熱というよりむしろ帰属意識といったものは疑いようがないのですが、そうじゃない女子のゲーム好きの実態はどうなのか、というのをちゃんと知りたいと思うのですね。

ちょっと検索してみると、アメリカのESAの統計が出てました。ゲーム人口の46%が女性と書いてました。

www.theesa.com

日本の統計として、ちょっと古いですが以下のページでは、女性率が42%とのことでした。

www.4gamer.net
日米、ともスマホゲームの普及のおかげで、女性のゲーム人口が増えていることは明らかな事実なようです。
ただ、米国の統計では、女性の主にやるゲームはカジュアルゲーム(パズルとか?)という感じで、まだまだ差があるように見えます。

とはいえ、ゲーム人口の半分近くが女性であり、男性もカジュアルゲームはやるのですから、本気にゲームをやる女性が増えている、というのは事実として認識してよいように思えますね。
(というわけで、ゲーム好きを公言するのは本心だと信じることにします)

理屈で考えれば、ゲームが面白いのは、遊びの中で人が得られる満足や興奮を最大化させる仕組みが組み込まれており、遊びを始めるのに必要となるものもほとんどない、という遊びを純粋化させた形態であることが大きいと思います。女性がゲームを始めるのに抵抗がなくなれば普及していくのは当然、というものです。

この事実を前提にして、面白いと思う議論として2つ挙げたいです。
①ゲームという共通の遊びが、これからの時代の男女間のコミュニケーションのツールとして一般化するのか
 今でも、ポケモンGOとか、もう男女関係なくなっているゲームありますので、コミュニケーションのきっかけとして機能しちゃってますけど、主に大人世代ですね。

www.4gamer.net
 子供向けゲームだと、男の子・女の子らしいゲームが好まれるのかもしれませんが、一方で、親と一緒に遊ぶのも今どきですので、親が気にしなければ子供も男女差に気にしなくなるのかもしれません。次はそのあたりを調べてみたいかも。
 たぶん、ディープなゲームだとすると、やはりその人の好きなコンテンツとかの影響を受けてくるし、一部性的な表現が入ってくることもあるので、男女分かれるんでしょうね。

②ユーザーの世界に合わせて、制作者の世界も男女比率が半々に近づいていくのか
 スマホゲームの世界は、ストーリーデザインとか、マーケティングとの比率が上がってますので、そういう分野では女性率がある程度あると思うのですが、デベロッパーとして統計を取ると、女性率は20%程度だそうです。
 ゲームに限らずプログラミングに興味ある女性が少ないというのはよく言われますが、その影響が完全に出てしまっているように見えます。
 

www.statista.com 
 一方で、女性のゲーム人口が増えてきたのが最近で、その世代がまだ開発者になっていない、というのはありますので、その点から少しづつ変わっていくのかと思います。普通に考えて、ユーザーが増えればその中の一定数は、作ることに興味を持つはずで、開発者養成の仕組みでは男女差はありませんので、増えないほうがおかしいのです。
 もしかしたら、ゲームに関する仕事に興味を持つ女性が増えれば、IT業界全体の女性率も上がっていくのではないか、なんて期待もしてしまいます。
 ゲームとは別に、そもそも日本でのプロジェクトリーダーや管理職に女性が少ない、という問題はありますので、それは別途克服していただかないといけないのかとは思いますが。


そんなわけで、この記事の結論は、こんな感じです。
・女性がゲーム好きを公言するのは、本心と信じて問題ない
・女性のゲーム人口が増えたことで、ディープなゲームを除き、ゲームコンテンツ自体の共通化が進む。
・ゲーム開発者については、女性率が圧倒的に少ないが、ゲーム人口が増えたので、その世代の一部が開発者になってくれる可能性があり、改善は見込まれる。また、女性ゲーム人口の増加がIT業界全体の女性比率向上にもつながるかもしれない。

まあ、個人的にはイベント自粛で家でこもってゲームしかできない状況は早く終わってほしいのですが。

飛行機のはなし

飛行機は専門でもなんでもないので、偉そうに言えることないんですけど、737MAXの話、
調べれば調べるほど、いろいろ考えさせられるものがあります。

あちこちで言われているように、昔の設計に無理やり最新の大きなエンジンを載せて、機体の安定性が悪化しちゃったけど、それを制御ソフトで無理やり回避する設計にしたけど、それが上手く動かなくて大惨事になった、という経緯の容易です。

気になるポイントは、2つあります。
1)素人が見てもリスクが高いと思われる設計を、どうして設計者も規制当局も承認したのか?
2)大惨事が起こった後も、なぜボーイング社が頑なに設計のせいだと認めなかったのか?
(ここから先は、あまり確証はない私の仮説です。)
私としては、1)の要因は、ソフトウェアへの過信と、情報共有の不足、だと思います。

 ソフトウェアの品質管理手法、というものは長年研究されており、航空機の分野では、最も進んだものが利用されているはずです。ただ、入力・出力が明確に定義できなければ、品質保証はほとんど成り立ちません。だから、設計時の想定と違う入力が入った場合、動作保証なんて不可能です。
 そこで問題になるのが、センサです。センサが不具合を起こすと、出力値が0になるのではなく、間違った値を出力する可能性もあるのです。そこで、センサを複数設けて、相互に比較して正常動作を監視する仕組みをいれます。
 ただし、この部分の設計が極めて難しい。二つのセンサが別の値を示した場合、どちらが正しいかを別の情報を用いて判断する必要があるし、二つのセンサが同時に異常値を出す場合もある。
 センサ系は信頼性の高いコンポーネントで構成し、こまめに点検するように運用するしかないのです。
 情報共有不足というのは、「ソフトウェアで対処できる」と判断する前提としてセンサの信頼性が担保できることが必要不可欠なのですが、センサ担当側もソフトウェア担当側も、本当に互いの状況をわかって判断していたのか、という意味です。
 
ここで2)の話になるのですが、当初ボーイング社が設計の問題を認めていない部分がありました。
 この話から判断すると、たぶん、航空会社のセンサ部分の管理体制に少し課題があった可能性もあります。
特に、今までの機体で機体制御に使っていなかったセンサが、今回から機体制御の中核になってしまったのに、それを認識していなかったとすれば、不具合の芽を放置してしまう可能性があります。
 設計者としては、センサが正常に動作していれば安定的に動作するものを作っているし、その状態での製品には自信を持っているはずです。だから、機体に問題はない、という姿勢でいたのでしょう。
 ただ、メーカーとしては、航空会社の管理体制の構築までしっかりサポートする義務があったし、それがいきわたらないまま運用にされてしまうことへの設計側の対策が不十分だった結果として、設計に責任、ということになったのでしょう。
 

 もちろん、ソフトウェアの品質が低かった可能性は外部からでは何とも言えませんけど。

 運用体制構築の問題であるのならば、結局、航空会社へのサポートを充実させ、管理に問題があれば遠隔からロックして強制的に飛べなくする、とかが、飛行再開に向けた改善策の基本方針だと思います。
 一方で、一度ついてしまったネガティブイメージを払しょくするのは極めて難しい所です。規制当局も共犯だと疑われてしまっていますので、目に見える対策がされないとなかなか承認しずらい状況です。
 たぶん、全員が納得する方法は、機体を再設計して機体自体の安定性を高めた新製品に切り替えること、ですが、それができればそもそも今回の件は起きていないのですから、ずるずる長引いてしまうのかと思います。

 新機種の設計が間に合わない苦肉の策として、エアバス機をライセンス生産する、とか起こっちゃったりしてね。

 
 

 

資源の生まれる場所

自宅の庭から石油が出る、なんて誰もが夢見る話ですが、その石油は本当にあなたのものでしょうか?

近所と取り合いになる、とかのいう次元ではなくて、そもそも石油は恐竜時代からの遺産であって、
たまたまそのタイミングで土地の所有権を持っていた人に帰属する、
というのはよく考えると変な話です。

もちろん採掘コストを賄うだけのインセンティブがないとそもそも採掘されない、という問題もありますので、
土地所有者のもの、とすることに経済的合理性はあるのでしょうけど。

と、ここまでは前振りで、今日のテーマは文化という資源です。
以前にも書いたと思いますが、多様性は資源です。
同質の人が集まって議論したら結論は一定になりますので、そこに新たな価値はうまれません。
これまでと違う要素が入ることで新たな価値が生まれるのです。

正直、この理論を定量化する研究をやれていないので、根拠は弱いですが、一般的に同種のことは言われているので、とりあえず正しいとします。

「新たな要素が入ることで新たな価値が生まれる」とすると、ある価値が行き渡った場合、さらに別の新たな要素を探してこなければいけません。
言い換えると、新たな要素が枯渇した時に、新たな価値を生み出すことができなくなるのです。

そして、新たな価値を探し続ける経済になってからしばらく経ってしまいましたので、新たな要素を探すことの難易度はどんどん上がっています。

以前であれば、まだ知られていない国に行けば、新たなネタはいっぱいあったのですが、SNS時代に地球上で知られていない場所はほぼなくなりました。
現在は空前の旅行ブームであり、異動するインフラが整ってしまったので、観光資源さえあれば、どんなところでも観光客が押し寄せて、SNSにアップする時代です。
こんな状況ですので、昔の人たちが作った文化は近い将来に消費されつくしてしまうのは自明です。

だから、今の時代を生きる我々が、新たな文化を作っていかなくてはいけないのです。

しかし、すでにSNSなどで世界につながれてしまっている人が、メインストリームから外れたものを育てることができるか、正直信じられないのです。
世界がこんなにつながる前は、それぞれの経済圏における価値基準がありました。
特定の県でのみ有名な食品、とかは良い例だと思います。

これらは、現代において文化としてもてはやされていますが、2020年代に、特定の県でだけ流通するものを新たに投入する主体がいるか、というと微妙です。

もっと極端な例に行くと、旧ソ連のデザインなど、独特の特徴があり、高い評価を受けていますが、現代に特定の国の特定の芸術家が、とがった表現を始めても、理解されないと思うのです。

世の中に対立があって分断されている方が文化は発展する、という説もあり得るのです。

もし、これが事実であるのなら、取るべき道は3つです。
・対立をあおる
・新たな価値を生み出すことをあきらめる
・対立がなくても様々な組織がさまざまな文化と生み出せる仕組みを作る

もちろん、私は3つめの方向性を実現したいと思っています。
残念ながらまだ具体的な形は見えていません。
地方がこの主体になれると信じている人も多いですが、私はちょっと懐疑的です。
経済力が劣る地方が都市の価値観と戦えるとは思えないのです。

実は、私は地球外にその可能性を期待しています。とはいえ最低100年はかかってしまうので、その間を持ちこたえる戦略が別に必要になるのですけど。

結構真剣ですから。

 

目的の多様性と手段の多様性

ある女性のコンサルタントが、「会社が受け入れるべき多様性は、会社に貢献する範囲のもの」みたいなことを言っていました。

「あらゆる多様性を会社が受け入れるべき」という思想とは相容れないものですし、
「多様性なんて言って金儲けかよ」となんかがっかりした気になるのも理解できます。

 

でも、言うほど悪いことでもないと思ったのです。

人は義務で動くのではなく、モチベーションで動くものです。

組織も同じ、組織にとってのモチベーションがなければ動きません。

会社の場合、ビジネスとしての成功(売上、利益など)が会社の目的であり、それがなければ組織として存続すらできません。

 

なので、私としては、「会社に貢献する範囲の多様性」ということには同意します。

具体的に会社に貢献する範囲の多様性とは何か、ということになるのですが、主な効果は、
・新しい市場や技術に対しての知識をもたらしてくれる

・過去の経験に縛られ、誤った判断をしてしまうのを防ぐ

といったものではないかと思います。さらにメタ的に、
・これらができる人材を呼び寄せるための呼び水
というのもあります。


新しい市場にに対する知識が多様性の効果だとすると、
逆に、既存市場の中での競争を続けていくような業種においては、多様性の効果はない、
ということなのでしょう。
本当にそういう業種もあるのかもしれません。

 

多様性が会社のビジネスに有効であることは理解できても、次に問題になるのは、

「どの程度の多様性を認めればどの程度の効果があるのか」がわからないことです。

米国テック企業は多様性の塊で、それらがグローバル経済で活躍しているという事実はありますが、

・多様性がなくても成功した可能性はある

・多様性があっても失敗した企業はいっぱいある

・各社、どの程度の多様性を受け入れているか外からはよくわからない

といったこともあり、結局よくわからないのです。

実は、米国企業自身もどの程度効果があるかはわかっていないのだと思います。

そんな風に経営側で多様性の意味をうまく説明できない中で、活動家ばかりが目立ってしまっている
という状況であり、少し誤解が出ているように思います。

経営側としては、あくまで会社のビジネスを成功させるために、
多様な取り組み方や知識を活用したい、というだけで、
活動家には、社会の中で押さえつけられていたマイノリティの復権、という活動目的が
少し入っていると思います。
さらにそんな活動家の中でも、マイノリティがビジネスの中で重要な役割を果たしてくれれば
自然と復権が進む、という思想と、そんなのでは甘いという思想があるのでしょう。
(この辺りはちゃんと調べてないので、間違っているかもしれません)

会社の目的に貢献するのが良い多様性、という立場はとりますが、もう一つ大事なのは
「目的をどう共有するか」ということです。
会社の設立の趣旨とか、創業者のメッセージなどいろいろ対外的に出されているものがありますが、
実際に従業員が会社の目的として向き合うものは、評価や管理の仕組みです。
 対外的にどんなメッセージを出しても、それを評価する仕組みがなければ、会社の目的とは言えません。


ここまで会社の中での多様性の考え方についての話ですが、
社会においてもたぶん同じことでしょう。
社会の発展につながる多様性が良い多様性であって、社会を破壊する多様性を認めるのは少し違います。
ただ、「社会の発展につながる」という目的について、意見をまとめることは極めて困難なことです。
欧米の社会の分断の例がわかりやすいですが、現代において、意見をまとめる機能がほとんど機能しなく
なってしまいました。

今日のところはひとまず、多様性を受け容れる範囲についての議論は、社会の在り方についての議論の
一部である、という至極当たり前のことでまとめて終わりますが、
社会の在り方についての議論をどうやったら進めていけるのかについては、今度整理したいと思います。

宇宙人はいるか?

学者が明答を避けようとする質問として、宇宙人(地球外生命体)の存在有無があります。
地球人以外の知的人類の存在が確認できていないのですから、統計的に推定することもできません。
(データ数が極めて少ない事象に対して計算された発生確率は実際には根拠ないのと変わりません)

そんなわけで「広い宇宙に地球人だけなんて寂しい」とか、ロマンで片づけてしまいそうになるのです。

そんな一方、NASAは(という主語が適切かわかりませんが)まじめに候補となる惑星を調べています。
ケプラー探査機の成果として多くの「地球型惑星」が見つかってます。

natgeo.nikkeibp.co.jp

この後継プロジェクトとしてTESS衛星が打ち上げられており、現在観測が行われています。
とはいえ、今のところそれほど有力な候補が見つかっているわけではありません。
ケプラーの時の実績があるので、波形の分析はよりスムーズになったはずなので、もしかしたらTESSのターゲットとする範囲にあまり惑星がないのかもしれません。

そんな状況ですが、地球人が地球外生命体と最初の通信を行うのは、何十年後でしょうか?
21世紀中にはあり得ない、という答えが結構多いのかもしれませんが、候補となる惑星が見つかって、その惑星向けに指向性を持った通信を行って、返答を得るというのが最初のコンタクトであるのなら、意外とすぐかもしれません。(最も電波通信でも片道十年以上かかる距離というのがもどかしいですが)

一方、地球上で未知な場所はほとんどなくなってしまいましたので、探検家は宇宙を目指す時代ですが、太陽系外にアクセスする手段はないので、どうしてもフラストレーションがたまるはずです。
(有人月面探査は重要なステップですが、国の面子といった側面が強いように思えます)
そのフラストレーションを解決する手段こそ、地球外生命体との接触であり、加速することが求められます。

この領域はあまり予算が豊富というわけではありませんし、どんな活動をすれば地球外生命体の発見が早まるのか、まだ全然調べられてないですが、なんか方法はあるはずです。
TESSのような衛星を多数上げて守備範囲を広げるのがいいのか、ほかのアプローチが良いのか。
また、別のレベルとして、地球外生命体を最初に見つけた人がその技術を独占できる、という制度を設けて投資を呼び込む、なんてのも考える価値はあるかもしれません。(いわゆるヴァイキング方式?)